♪再録・魔法の藤本陽一

2019年6月14日(金)
【私服音楽家!?覆面音楽家!?(2013/03)】

ある世界的なバイオリニストが、どこかの駅で通勤時間帯に素性を隠してストリートミュージシャンとして演奏をしてみた、という記事を某SNSで最近読みました。どれくらいの人が関心を寄せるかという実験だったのだそうです。

結果は、子供が立ち止まったけれど母親に引っ張られて去って行ったり、通勤中とおぼしき人がお金だけを入れて足早に立ち去ったり、だったそうです。

興味深いのは、この記事を書いている人が「世界的な演奏家が何億もするバイオリンを使って演奏したのに、人々はろくに反応しなかった。我々は純粋な心を失ってはいないか?」といった論調で話を進めていることです。

もうひとつ興味深いのは、「考えさせられた。そんなことにも気付けず感動も出来ないなんて、我々はそんなことじゃ駄目だ!」という主旨の書き込みが割りと多かったことです。

これを書いた人は、本当に良い音楽は条件を選ばずに評価されるべきだ、という発言をしているのだと思います。僕はそれに対して異論がある訳でもないのですが、ちょっと別な角度から見てお話ししてみましょう。

僕も、演奏会場に正装で行かなければ価値が分からないなんておかしい、と半分は思っています。

しかしもう半分は、これはごく自然な反応だと思っています。そんな時間帯にそんな風に演奏していたら、いい演奏だとか世界的な演奏家だとかは気付かないのないでしょうか。

例えば、覆面パトカーや私服警官はその職業の気配を消して任務に当たります。その為に普段は一見して普通車両と変わらないようにしたり、パッと見はただのおっさんである必要があります。その状態でパトカーや警官を見抜ける人がいたら、その人は何らかの訓練をしているのではないかと思います。

逆に言えば、それなりの格好をしているとそれなりの先入観を与えることはある程度可能なのだと思います。なので、作業員の格好でビルに忍び込んだりも出来る(これは良くないことですが)訳です。ただ、セーラー服のように着る人の条件がかなり絞り込まれるものもあり、その条件を外れると違う意味のものになることもあります。

話を戻しましょう。

人間が「そう思う」ためにはある程度「そう思うための環境」が必要なのだと思います。第一、駅で演奏していたらみんなが立ち止まるようなことが頻繁に起こると「高い金を出して聴きにいかなくてもいい音楽は聴ける」とみんなが思い始め、プロモーターやマネージャー、それに本人にお金が入ってこなくなりさぞ困るでしょう。だからやっぱり冒頭に述べたような反応で良いんだ、と僕は思います。


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