♪再録・魔法の藤本陽一

2018年7月1日(日)
【歌詞と曲の関係を改めて考えてみました。(2013/06)】

ビートルズの「She loves you」という古い歌があります。「君はフラれたと思ってるけど 彼女は君を愛してるんだよ」という主旨の歌詞なのですが、これを「君」に伝えている「僕」は、その彼女にフラれたんだと僕は思っています。歌詞には、はっきり言っているところはまったくありませんが、フラれたんだと思っています。根拠を示せ、と言われるとすいませんでしたと謝るしかないのですが、フラれたんだと思っています。

小学生の頃に聴いた時は、単純に「彼女」の想いを「君」に伝えているのだとばかり思っていましたが、人生経験を積んで(←ちょっと言ってみたかっただけです)いつからか曲の中にそのような雰囲気を感じるようになりました。

もし「She loves you」が歌詞だけで曲がなかったら、僕の感想は違ったかも知れません。そして、僕の思うニュアンスを歌詞だけで表現しようと思ったら、例えば「僕は彼女が幸せならそれでいいんだ」という意味の詞を書き足す必要があると思います。

ところで、SNSやメールで顔文字や絵文字や「(笑)」などを使いますが、あれは会話である「話し言葉」を「書く」というコミュニケーションだと思っています。会話であれば相手が目の前にいて顔の表情や雰囲気が伴いますが、文字だけだとそれらのニュアンスが伝わらないので、顔文字や絵文字や「(笑)」を使うのでしょう。

そう考えた時に、会話の言葉を歌の歌詞だとするならば、表情や雰囲気が曲に当たると言って大体合っているのではないか、と思いました。となると、歌として「僕は彼女が幸せならそれでいいんだ」まで書くというのは、会話のときに顔で笑いながら「〜ですね かっこわらい」と言っているような気がします。現実にそれをやるところを想像するとちょっと気持ち悪いですね。でも、そのうち無表情でそれをやるのが意外と流行るかも知れません。

これは僕の思い過ごしかも知れませんが、昔の歌に比べて最近の歌の方が「僕は彼女が幸せならそれでいいんだ」まで書く傾向にあるような印象を受けています。それですごく字余りな感じの歌になったりしていて、歌詞カードやネットで詞を見た時(敢えて「読んだ時」ではなく「見た時」と書きました)、“黒い塊”が大きいように思うのです(場合によっては緑や青の塊かも知れませんが)。1970年代のフォークソングの人たちも塊は大きかったのですが、最近のものは敢えてその字余りにすることによって言葉にリズム感を出しているのだと思います。

リズム感を出すための字余りは僕もやりますが、「僕は彼女が幸せならそれでいいんだ」のニュアンスは曲で表現して歌詞には書かない方が好きです。歌詞にない部分は聴き手の皆さんの想像力にお任せすることで僕が考えもしない受け止め方も出てきて、歌が広がっていく感じがするからです。これは、そこまで書く歌を決して批判するものではありません。但し、作り手はそこまで書くか書かないかで聴く側の印象が変わるものなのだ、という自覚を持って書くべきだ、と強く思います。


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