2020年8月15日(土) 【音楽活動においてあって欲しくない感じの「社交辞令」って!?(2013/07)】 世の中には「社交辞令」という、心にもないことを言う習慣があります。 例えば会社勤めの人の世界では、二度と会うこともない人に向かって「また機会があればよろしくお願いします。」等と言ったりします。しかし、僕はこれが即ち「汚い大人の世界である」とは思いません。もし「もう君とは二度と会うことはないだろう」とか「君とは二度と会いたくない」と言ってしまうと、角が立つしお互いに良い気持ちはしないでしょう。しかし、「明日にでも是非またお会いしたい」とまでは言いません。それでは相手に不必要な期待をさせてしまうか、こちらの気持ちを見透かされていようものなら余計に良い気持ちがしないはずです。社交辞令とは、心にもないとはいえ人間関係に波風を立てないための、ある意味後向きな手段だと言えるでしょう。 また、「方便」というものもあります。 例えば、飲み会の誘いを断るときに「お金がないので」と言うと、「じゃあ貸しといてやるよ」と言われるかも知れません。それはありがたいことでもあるのですが、相手との人間関係的な距離感によっては微妙な空気になりかねないので、本当にお金がなくても「どうしても外せない用事があるので」と言っておいたほうが良い場合があります。本当の理由を言ってはいませんが「心にもないこと」という訳でもなく、人間関係に波風を立てないための、ある意味前向きな手段だと言えるでしょう。 さて、音楽活動は「汚い大人の世界」とは無縁な純粋な心の世界か言うと、絶対にそんなことはありません。 例えば初めて一緒になる演じ手のリハーサルも見てないのに「このあとも素敵なバンド(または“アーティストさん”)がたくさん出てくるのでみなさん最後まで楽しんでいってください」などと言う人がいますが、これほど不誠実で社交辞令以上に心にもない言葉はない、と僕は思っています。かといって「僕はこれから出てくるのがどんなバンドか知らないし、リハーサルも見ていません。みなさん気に入らなければ帰って頂いて結構です。」と言え、という訳ではありません。もし言うのならば、リハーサルもしくは普段のライブを見てから言うべきではないでしょうか。 リハーサルを見たうえで自分にはしっくり来るものがなくても、この人たちは真剣にやっている、気に入るお客さんが他にきっといるであろう、と思えるならば「素敵なバンド」と言って良いのだと思います。 音楽で何かを伝えようとする人が夢や理想を描くことは多いと思いますが、本人にとっての偽らざる真実が出発点である筈です。見ていないバンドを「素敵」などと言う嘘をつくような人間の表現を、僕は信じたくありません。もし僕が一度でもこのような言動を取るならば、僕はもう自分自身の表現を信じません。これに限らず皆さんが「ああ、藤本陽一は不誠実になったもんだ、やれやれ」と思った時は、忠告は要りません。どうぞ離れてやってください。それで気付かないようであれば、本当に僕は辞めた方がいいし、続けていても何の意味もありません。もう辞めているも同然ですから。 [コメントする] [更新通知] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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